悪魔の尿溜へゆくんだ!小栗虫太郎『人外魔境』を読む!
- 作者: 小栗虫太郎
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2018/01/05
- メディア: 文庫
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そんな私も、『ドグラマグラ』でめでたく夢野猟奇ワールドに開眼したのち、いよいよ二冊目に入った。
あれは猛暑、クーラーも無く、扇風機の生温い風にあたりながら読む創元推理文庫のぎゅっと詰まった小さな活字は、行を移ると視界の隅でモゾモゾと蠢き始め、まさに虫の如く汗ばんだ体を這いずり回る…
「ハテ…今、何を読んでいるんだろう?」と何度も躓くのは暑さのせいでボーッとしているからだと言い聞かせるも、気づけば主人公が今どこにいるのかもわからなくなっている(数年後、私はこの現象を勝手に《死靈現象》と名付けた。埴谷雄高さん、ありがとう)。
中井英夫の『虚無への供物』合わせ、三大奇書の中ではぶっちぎりの悪文だ。
悪文…難解さについていけない事を作者の文章力のせいにしているだけという場合も少なからずあるが、まあとにかく『黒死館殺人事件』の冒頭数行を読んでみるだけでよい。
小栗を読むことは“苦行”なのである。
夢野久作『ドグラマグラ』角川文庫版だと32ページ続く《キチガイ地獄外道祭文》通称チャカポコも、挫折者多しの関門と有名だが、あの苦しい詩の繰り返しもおそらく読者を堂々巡りの地獄旅へと誘う仕掛けのひとつとなっているのだろう。
で、小栗虫太郎。
なにゆえあそこまで読み辛い文章を書き、蘊蓄に力を籠め(過ぎ)、物語の進行上重要そうな説明をほんの一行で済まし、そして何より「いかに改行しないかがポイントだよ!」とでも言うようなみっちり感を押し出すのか。
初めて触れた時は「当時の読者はこういう文章も楽に読める人達だったんだ」と勝手に思い込んでいたものだが、「いや、これはリアルタイム読者だって苦戦したに違いない!」と、ある程度読書量の増えた今では思う。
…でもね。
そう。酔うんだよ。
酔ってくるんだ、小栗の文章は。
あるラインを超えると気持ちよくなってくる(ような気がする)タイプ。体内に毒の様に回り始めたら…ほら、活字中毒の虫が蠢きだすよ…
さて。
長年なぜか未読のままだった『人外魔境』である。
いやどう考えてもほぼ直球で私好みの臭いがプンプンなわけだが、なぜか読む機会が無く…この度、河出文庫ノスタルジックシリーズにて刊行されたのをようやく手にした次第。
さあ、毒を注入する準備は出来たか?
いざ、頁をめくらん。
………大魔境《悪魔の尿溜》!アトランチスの有翼人!大迷路の水棲人!白痴女を連れてチベットのユートピアへ!!
猛毒である。
もう死を覚悟したくなるほど魅惑的な小栗ワードの連打である。
そして、一連の探偵小説に比べて読みやすいではないか(あくまで当社比)。
このシリーズ、第三話目から秘境探検家かつ国際スパイ(!)の折竹孫七が主人公として登場するのだが、どうも雑誌『新青年』で連載化されたのがここからのようだ。
主人公の異なる第一話・第二話はページ数も多く、個人的には全話このボリュームが欲しかったところ。
折竹というキャラクターは魅力的なので(なにせ国際スパイ!だし)一話読み切りとはいえ残念だ。
しかし、たかだか30~40ページでこのスケールの大きさ、そこに国際情勢からロマンまで詰め込む手腕はさすが。
だが相変わらず大事そうな展開部分を一行で済ますという技が大量投下されているので、丁寧に読んだほうがいいと思う。
いや、自分の場合、先を読みたくて下手な速読を発動してしまう時が度々あるので…
ニューヨークのサーカス小屋で重量上げの芸をする日本人女性おのぶサン、陽気で図々しくて憎めないロマンチストのカムポス…愛すべきキャラクターも多々登場し、あっという間に読み終える。
読み終えてしまった…
このシリーズ執筆時、小栗は海外渡航経験が一度も無かったとのこと。凄まじい知識量である。
夢野もほとんど百科事典だけをもとに執筆していた事を思うと、現代、欠けてしまった何かを感じざるを得ない…
彼らが夥しい書物に囲まれ思索に耽り、力の限り創造してゆく姿を想像していると、情熱の在り方を考えてしまう。
ところで、表紙の話をしたい。
ラインナップを見ただけでときめく良質なシリーズを刊行してくださり、河出書房新社さん誠に良い仕事をしていると思うが、この表紙はどうだろう…
亜熱帯だけどさ。秘境感あるといえばあるんだけど。
ちょっとその…さわやか過ぎないか?
小説の表紙って難しい。それはわかる。
「お?」と目を引かせつつ、作品世界の雰囲気をうまいこと伝えつつ、かといってネタバレは出来ないし…
大変な仕事だよね…
というわけで、ネタバレ全開で勝手に表紙を描いてみた!
…ハア、ゼェ。ちょっと盛り過ぎたか?
いや、まだまだこんなものではないのだ。
めくるめく
《今日のBloodborne》
…服、着ろよ。
夜が明けた!まずはBloodborneについて。
Chapter 1
いろいろな意味でブログを始めるきっかけとなったゲーム、Bloodborneから話を始めようと思う。前置きがあるので、早くBBの話を…と思う方はチャプター2,3まで読み飛ばしても構わない。
さてここ数年間、我が人生最大最悪の局面に翻弄されていた私は、結果、空っぽになってしまった(あまりヘヴィな話題は避けたいのでこの辺りはサラッと…要は病気だ)。
もともと漫画の修行をしていてそれを生業にできれば…という思いがあったので、まさに四六時中ペンを持ってない時でも、歩いていてもストーリを考える、アイデアをこね回すという日々。
それが。
気づけば空っぽになってしまった。
何も、何も出てこない。それどころではなくある日突然、遠近法というものがわからなくなった。つけペンで線が引けなくなった。習得した技術が次々と消えていった。
怖かった。自分の身に何が起きたのかわからなかったが、とにかくそれが一番怖かった。恐ろしさのあまり、私は絵を描かなくなった。というより、描けなくなったのだが。
これまでにも、絵を描くことをやめたら自分はどうなるだろうなぁ…と軽く想像してみることはあった。きっと、なんにもなくなってしまうだろうなぁ、と。
なんにもなくなるんだよ、コジローさん!その時が来てしまったのだよ!!
自分の価値観が喪失。これは、恐怖以外の何物でもなかった。
もう一度サラッといっておくが、これはスランプとかそんな類の状態ではない、病気だったのだ。
治るのか?いつまで続く?しばらく休めば大丈夫だって?その”しばらく”が3年ほど続いてるんだが。
『このまま』…………(恐怖度、一気にカンスト)。
そんなこんなで2017年3月。
文字通り生ける屍と化していた私は、10年ぶりにTVゲーム機を購入する。
そう、ゼルダの伝説が出たから。時のオカリナは永久に私のナンバー1。
最後に買ったゲーム機といえばWiiとPS2。Switchを手にしてコントローラーのキーの多さに指がついていけず、「ゲーマーとしても復帰出来ないのでは…」などと思いつつ3週間ほどでなんとか盾パリィもできるくらいに(20回に1回くらい)。
仕事帰りのバスの中で「今日はクジラの化石を探しに行こう…」と思った瞬間、数年ぶりに幸せな気持ちを感じた。
新作ゼルダはとても面白くて、ストーリーやゼルダ姫のキャラクター(これは完全に好みの問題)など惜しい点があるものの、数か月間、全プライベートを捧げてプレイ。
故岩田社長が亡くなった時は自分自身がひどい状態だったのでどんな感情を持ったかもうろ覚えだが、今回プレイしながらウルッとする。
凄いな、頑張ったんだな、任天堂…。
少しだけ、心が動く。
ゲームをもっとやりたいなと思っていろいろと見ているうちに、Bloodborneという存在を知る。なにせ10年ほどゲームから離れていたのでソウルシリーズすら名前を聞いたことがある程度。しかしトレイラーを見る限り、なんだか自分好みの世界観である。大好きなアクションRPGだし(完全に下手の横好き)。
がしかし…《世界最高難易度》。
どうする、自分。
2週間後、我が家にPS4とBloodborneが届いた。
Chapter 2
私はあらゆるジャンルの創作物において、制作者の勇気を感じるものに特に感銘を受ける。
《世に出す勇気》だ。
1969年に『TOMMY』を出した時のピート・タウンゼントが美しく見えるのは、彼の勇気を感じるからだ。
革新的なものを創るのには、勇気と情熱が絶対的に必要である。ここで誤解なきよう説明しておくと、私は〈革新的なもの〉に魅かれるのではない。「革新的である」とか「世界を変えた」とかは世に出したあとの反応であって、クリエイターとして魅かれるのは圧倒的にその前の時間だ。
おそらくこのゲーム一本の制作には大変なお金が動いているだろうし、商業的な部分を無視しては進められない。それらをクリアしながら妥協せずに創りたいものを創り上げること。それが最高の《プロの仕事》。
多くのプレイヤーが駆け抜けていくであろう背景のオブジェクトに拘ること…漫画でいえば、読者は0コンマ何秒しか見ないであろう背景の細部に気を配ること。
いつまで続くのか、いつか終わるのかどうかもわからない不毛な日々に光を射したのは一本のゲームだった。
全く予想だにしなかった。
今までの人生で何度も何度も、映画や書物や音楽に助けられてきた。
だが、最大の救済は今回のゲームだった。
抜きん出た芸術性に、崇高な物語に、貫かれた美学に、多幸感をもたらすゲーム性に、そして制作者たちの熱意と労力と勇気に、最大限の敬意を表す。
長い長い夜が明けた。
Chapter 3
記念すべき第一回ブログの最終章は楽しくいこう!
というわけで我が主人公を紹介させていただく。
キアヌきた!自分的にはスキャナーダークリーの頃のもっさりイメージで作ったつもりが、けっこうシャープになってしまった。元来鎧とか剣とかにさほど興味がないので、Bloodborneのお洒落重視防具(というわけではない)と奇抜な変型武器は非常に楽しい。
そしてめでたくクリア、二周目に入る。
一周目でレベルを上げまくったので、二周目は上裸で!!
お洒落どこいった…いや、かっこいい、かっこいいだろ、これ!?
このゲーム、ヴィクトリア朝イギリスが舞台で、まぁいろいろあって呪われた町ヤーナムにやってきた主人公が、狩人となって獣化した方々を狩ってゆくという話なのだが…この格好、もう主人公がケモノ。ちなみに肩に担いだイカした武器は獣肉断ちという。
アクションホラーとのことで、ホラー感が満載。というかかなり怖い。新しいエリアで目前に広がる風景を見るたび、行きたくなくてドキドキする。
クトゥルフ神話がベースだが、後半になるにつれ盛り上がるSF感がたまらない。多くのSF小説や映画へのオマージュが見受けられ心躍る。
ミコラーシュというボス戦で追いかけっこ演出になるのだが、おしゃべりなボスが逃げながら狼の遠吠えを上げた時などもう、硬派なこのゲームに可愛さすら感じ、思わず私も喜びの遠吠えを上げた。
ところで一周目、私は銃パリィのタイミングがさっぱり掴めず早々と諦め、ほぼ銃の存在すら忘れ、ナチュラル銃パリィ縛りプレイをしていた。そのせいでただでさえも高いゲームの難易度がはね上がり、汗ふきタオルも何度洗ったことか。
突然だがコジロー的ゲームプレイ時における必需品
●ハンドタオル…手汗拭き用・ついでにコントローラーも拭いて
●箸…お菓子用
●チューハイ…ボス撃破時祝杯用
Bloodborneのボスは皆哀しい。哀しくてグロテスク、その中に知的さも感じる美しい上位者たちのデザイン。(※上位者…神のような存在。上位者たちに近づこうとして人間たちがあれやこれやする)
DIEしてもDIEしても楽しくて、ちょっと余裕も出てきた二周目では素晴らしいステージを隅から隅まで歩き回って風景や小物を眺め…
絵を描きたいな、と思った。
道具も無かった。ペイントソフトの使い方も忘れた。
それでも、まずは鉛筆を削ってみた。私は愛用するステッドラーのBをカッターで削る。絵を描く時、最初にする作業だ。木の匂いがした。懐かしい匂い。
描いていくうちに思い出してきた。次々に。まさに覚束ない手つきでペンを動かした。まだいろいろ忘れている。培った技術がうすぼんやりとしたモヤに包まれて自分の周りを漂っていて、ひとつずつ開いている感じだ。
それでもなんとなく、思うのだ。
もう、絵を描くことはやめないだろうと。
では最後に、3年ぶりに描いた絵を。
ありがとう、FROMSOFTWARE、JAPANStudio。