物語のラストに、ほんのわずかでいいもの。
こんな不定期な、こんなに間を空けた更新でも読者になってくれた方たちがいる。どうもありがとう。
漫画を描くことや文章を書くことばかりしてきたせいか、ブログと言ってもひとつの記事を作品と考えてしまうので、纏めるのにどうしても時間がかかってしまう。
けれど今日は、初めて思いつくままに書き連ねてみようかと思う。
とは言ってもテーマがないと行き詰まってしまうので、【私の好きな物語のラスト】とする。
三つの作品を挙げよう。
映画『THX1138』
小説『幻影の書』
小説『スキャナー・ダークリー』
(以下、ネタバレ全開でお送りします)
1971年製作、ジョージ・ルーカス監督デビュー作である。
巨大な地下都市。徹底した管理社会の下に人々は番号で呼ばれ、感情すらも規制されている。主人公のTHX1138は、LUH3417と呼ばれる女性と互いに恋愛感情を持ってしまう。密告によりいなくなってしまうLUH3417。彼女を密告した男もまたロボット警察に連れて行かれてしまう。主人公は地下都市からの脱出を決意する。後のスター・ウォーズを連想させる浮遊するパトカーからの逃亡劇が繰り広げられた後、遂にTHX1138は地上へと出ることに成功する。
私が初めて観たルーカス作品は『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』だったが(とても幸せ者だと思う)、十代の終り頃に『THX1138』を観た時初めて「この人、天才だ」と思った。いや、ルーカスなんだけど。
厳密に言うと、ラストシーンを観た時である。
鳥が飛んだ時である。
我が【忘れられない映画のラストシーン】5本の指に入る名場面なのでもう少し説明しよう。
燃えるような夕陽の中、主人公が立ちすくむシルエットだけが見える長回しのワンカットである。背景には真っ赤な空以外何も無い。主人公の表情も見えない。彼が目にした光景はわからない。……が、画面の端を一匹の鳥が横切るのだ。
この物語を「最後まで救いのないディストピア映画」と言う感想はよく見かける。
ルーカスの真意はわからない(ちなみに鳥は撮影中に偶然映り込んでしまったそうだ)、しかし私は、あの鳥の存在がラストを決定づけていると感じた。
人間たちが地下に移り住んだ理由は語られないが、何らかの理由で過去に生命が生きてゆける状態ではなくなってしまったのだろうと推測出来る。
私には、ラストで飛ぶ鳥は“生命”の象徴に見えたのだ。
だが地上でどんな物が蠢いているかはわからない。
どちらにも取れるだろう。
ルーカスは天才だ。
私は現在発売されているディレクターズカット版を観ていない。どうやらあの場面に“今の技術を駆使して”荒廃した都市の背景が入っているらしいのだが……そういう事をしてしまうのもまたルーカスだな……。
オースターは2,3作しか読んだことがなかった。
確かこの本はハードカバーの新刊が出た時、ちょうど漫画アシスタントの仕事の徹夜明けで、ギャラをもらって半分寝ながらも本屋に立ち寄って目に留まったのだ。
家に帰って死んだように眠ったあと、翌日の昼頃起きて読み始めたら止まらなくなり、その日も徹夜で読みふけることとなった(若かったなぁ)。
飛行機事故で妻と二人の息子をなくした主人公は、家にこもり、アルコールに浸るだけの日々を送り、大学での仕事にも行けなくなっている。
ある晩、何の気なしに点けたテレビで無声映画時代の喜劇役者たちのドキュメンタリーがやっている。その最後に出てきたのがヘクター・マンという知らない役者だった。
主人公は、何ケ月かぶりに声を出して笑ってしまう。
…自分がまだどん底まで墜ちていないことを私は悟った。私のなかのどこか一部分が、まだ生きたがっているのだ。(単行本版:11ページ)
主人公は絶望から救ってくれたその喜劇役者の作品を追い始める。監督でもあるヘクターは、短編映画を12本撮った後に失踪し、それから約60年経っていた。
彼は監督の消息を追い、ヘクターについての研究書を出版する。
三ヶ月後、一通の手紙が届く。なんとヘクター・マン夫人から。ヘクターが会いたがっていると言う。
この後、物語はヘクターのお抱え撮影技師の娘が登場し、手紙を疑う主人公を説得し、ヴァーモントからニューメキシコまで連れて行く道すがら失踪後にヘクターに起こったことを話す。この過去の出来事のボリュームがかなりあり、それだけで充分に物語として読ませるドラマティックな内容である。
それ故、主人公がようやくヘクターの家にたどり着き、ほぼ危篤状態だという彼の部屋のドアを開け、ベッドに横たわるヘクター・マンの姿が描写された時、「ああ、本当に彼がいる」と主人公に同調してしまう。
主人公とヘクターの短いやりとりは、オースターの言葉が美し過ぎて内容を纏めるのが憚られる。
なのでここでは本題のラストにだけ触れよう。
ヘクターは主人公と会話した翌日に息を引き取った。
ヘクターは失踪後も映画を撮っていた。だがその貴重なフィルムは彼の遺言により、死後全て燃やされてしまう。主人公の奮闘も虚しく全ては灰となった……が、主人公は思いを巡らす。ヘクター夫人はフィルム焼却に反対していた。最後に撮影技師の娘とのいざこざの中起きた事故で亡くなってしまったが、賢い彼女はコピーを取っているのではないか。それは、どこかに眠っているのではないか。
その希望とともに、主人公は生きて行く。
ディックの小説の主人公たちはよく泣く。
さめざめとした涙を流す。
私はそんな場面が大好きだ。そこにはディックの優しさがあるから。等身大の人間性があるから。
本作はいつものディック節炸裂、主人公が自分自身誰だかわからなくなるジャンルである(あるのかそんなジャンルが、あるのだディックには)。
物質Dなるドラッグが蔓延する近未来、主人公は潜入捜査官としてヤク中たちと過ごしている。仲間と住む自宅の監視カメラで自分たちを見ていると、自分を監視する自分、いないはずの妻子との思い出などが次々と彼を襲うようになる。彼自身、物質Dにハマってしまったのだ。気づいたらもう手遅れ、落ちる所まで落ちた主人公は愛する女性ドナに連れられ薬物治療の施設へ入れられてしまう。実はドナも捜査官、しかも主人公の上司だった。 脳まで溶けた彼は、入ったが最後出てこれない、ドン底まで行った者たちだけが集められる農園送りとなってしまう。その農園で栽培されていたものは…………物質Dをバラ撒いていたのは…………
ドナにとって、主人公は真実を暴く僅かな希望だった。残酷且つ、儚い希望。
彼は年に2回だけ施設に帰れるという言葉を信じ、施設の仲間へプレゼントしようと農園に咲いていた花を摘み取り、ブーツに隠したところで終わる。
ここに挙げた3作品に共通するのは、ラストシーンである。
そこにあるのは、たった一筋の、細い細い僅かな希望の光。気づかない人もいるかもしれない、呼吸ひとつで吹き飛ぶかもしれないほど細くか弱い。
そんな終わり方をする物語が好きなのだと思う。
細い希望にすらすがり付きたい人間の弱さ。
たった一筋の希望さえあれば生きていける人間の強さ。
最後の一文を読み終えた時、静かに静かにゆっくりと息を吐いてしまうような物語にまた出会いたい。