《シリアルキラー展2019》に行ってきた。
二年前 日本にこんな物が!しかも全て個人のコレクションなのか!?と、多くのその手の人々の度肝を抜いた展覧会が、今年もまた開催された。
今まで平日に行って比較的空いた中で鑑賞出来ていたのだが、今年はどうしても土曜日にしか予定が取れなかった。土日は激混み、なるべく来るな、来るなら覚悟の上…という噂は聞いていたのだが、とうとう今回から土日のみチケット事前購入、一時間入れ替え制となってしまった。
その手の趣味をはっきり自覚している人々の気持ちを代弁させていただくとするならば…
…なんだ、みんな興味ありありじゃん。
なぜ、シリアルキラーに惹かれるのか。
そんな難解でかつ自虐的な問いもない。
その自問はそのまま自身の深層、ふだん意識せずとも一番奥底にしまい込んでいる自己との対面に他ならないのだから。
ただここで、ブログに書くと決めたからには私個人の心の一片をしたためておきたいと思う。
貫き通してるのだ。
たまたま、その生き甲斐なり趣味なりが倫理的に問題があり、法に触れる事だったのだ。
それはまず誰からも理解されないだろうし、そもそも他人からの理解など求めていないだろう。
ただただ、貫き通してる。
大体、奴ら捕まっても改心してないだろ!?
改心なんてしない、サイコパスだから。
突然熱心なキリスト教に目覚めちゃってる奴もいるが、自分の行いを悔やんでなんかいない。神への愛と殺人は別なのだ。
ただ、皆が皆、全肯定で迷いなく殺人を繰り返していたわけではないだろう。
サイコパスだろうがなかろうが、人間の心理はそんなに単純じゃない。
女性を殺害した現場の壁に、口紅で「これ以上殺す前に僕を捕まえて。自分をコントロール出来ない」と書いたウィリアム・ハイレンズは、苦悩していたのかもしれない。
ナンパして殺した男性の遺体と限界まで添い寝し続けたデニス・ニルセンは孤独を感じていたのかもしれない。
シリアルキラーたちを美化するのは何か違う。
後述するが、彼らは我々とは“別世界”に住んでいる。それでも、ただひとつの事を貫き通したその点は、紛れもなく魅力的なのだ。
そしてもうひとつ、私個人的な“シリアルキラー認定ルール”がある。
シリアルキラーは二人組まで。
上記の理由から、基本的には一人、単独犯である。
だが、根っからのサイコパスがいて、万に一つの確率でその要素を持った人間と出会う。要素を持った人間が生まれついてのサイコパスに引っ張られてコンビを組む…という流れはわかる。
イギリスのムーア(荒野)殺人鬼イアン・ブレイディとマイラ・ヒンドリーがそうかもしれない。
これが三人を超えるともうだいぶ話は変わってくる。
一、二、たくさん…古代式数え方になるのだ。
二と三以上の関係は、別物。
毎回少しづつ展示内容が変わっているが、今回はITのペニーワイズ原型ジョン・ウェイン・ゲイシーとチャールズ・マンソン関連が増えていたと思う。知名度の関係だろうか。
マンソンは日本でも大変人気があるが、私的ルールでいうと、シリアルキラー枠に入れて欲しくない。
彼・彼等はカルト枠だ。
マンソン・ファンから一斉攻撃が来そうだが、さほどカリスマ性も感じない。ビートルズのヘルタースケルターを黙示と受け取って…というエピソードもよく取り上げられるが、あれはアメリカ人のマンソンがイギリス英語(というかイギリスでの言葉の意味)を理解してなかっただけのこと…ではないのか?
いや、マンソンの話は置いておいて。
緊張感溢れる展示品の中でも、毎回心揺さぶられるのは、サムの息子・デヴィッド・バーコウィッツからの手紙である。
コレクションの所有者であるHN氏は自ら刑務所にいるシリアルキラーに手紙を書いて、アート作品など制作していたら譲って欲しいと交渉しているらしい。それに対する返事である。
つまり、HN氏個人に宛てられた、本当にここでしかお目にかかれない逸品なのだ。
バーコウィッツからの気遣いであろうが、「日本に興味があります」という一文だけで震えがくるミーハーだ(私)。
サムの息子が!日本の事を祈ってくれてるよ!!
昨年は、イアン・ブレイディからの返事も展示されていた。彼はアート制作などはしていないらしく簡素な内容だったが、彼らの事件に誘発されて書かれ世界中でベストセラーとなったエドワード・ゴーリーの絵本の存在も知らないそうだ。
社会から何十年も隔絶されている彼等は、日々何を思って過ごしていた(いる)のだろう。
全盛期の活動時代の事を思い出したりするのでしょうか…?
書き出したら枚挙に暇がないほどだが、今回もうひとつ鷲掴まれたのは、展示棚の一番下にひっそりと小さなビニール袋に入って置かれていた、ゲイシーの犯行現場の土。
(前回あったかな?前回、エド・ゲインの墓石の破片はあったけど)
犯行現場…あの家の下?少年の遺体が続々と出てきたところの土?
その手の人にとっては、甲子園の土なぞ比べ物にならない代物だよ!!
さらに、アイリーン・ウォーノスが獄中から親友へ宛てた手紙にも触れておきたい。
なぜなら、目を見張るほど美しい繊細な筆跡だったから。
私は、自身が書道をやっていた事もあって、美しい文字を書くというだけでその人物のポイントが跳ね上がる。
野球に興味もないし全くの無知なのだが、イチロー選手の字の上手さを見て彼の好感度が爆上がりしたぐらいだ。
男性七人を殺してモンスターと呼ばれたアイリーンも、今ではその悲惨な境遇が原因だとか、いや元々粗暴で自滅したんだとか分析されているが、あの手紙の筆跡は、そんな後付けの心理分析よりも、彼女の真の姿を現しているのではないだろうか。
ちなみにアイリーンといえば、シャーリーズ・セロンが体重増加と眉毛抜きで挑んでアカデミー賞を取った映画『モンスター』が有名だが、私は、ドラマ『アメリカン・ホラー・ストーリー』第五シーズンでリリー・レーブが演じたアイリーン(の亡霊)の方が好き。
しかし、これだけの凄まじいコレクションを見せられると、本当に勝手なお願いめいた気持ちが出てくる。
「どうか、頑張ってグレアム・ヤングやチカチーロ関連も手に入れてください」
…いやもう、本当にどうしようもないな。勝手どころの騒ぎじゃない…。
得体の知れない緊張感と、殿堂入りを果たしている方々の一端に触れてしまったような高揚感で、どっと疲れ、げっそりとしているのにお腹一杯になったような不思議な感覚。
ここでまた、いつもの曖昧な記憶が炸裂だが、確か…確か、柳下毅一郎氏の言葉だったと思う(著作をざっと見てみたのだが見つからなかった)。
「我々がどうしても越えられない殺人という一線を越えてしまう」
しかも、繰り返し、繰り返し。
彼等は“別世界”に生きている。
だから、彼等の犯行動機も精神状態も、我々には絶対にわからないのだ。
それでも、覗こうとする。
不可解な深淵を覗きたいと思う。
なぜなら人間には、必ず不可解な部分があるから。それは我々の中にも。