一年に一度は読み返す、静かな傑作《蜂工場》
- 作者: イアン・バンクス,野村芳夫
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1988/03/18
- メディア: 文庫
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一生に数度あるか無いかの体験をした本である。
10代の終わり頃、スティーヴン・キングを読み始めてめでたくホラー小説に開眼した私は、タイミングよく発売された《モダンホラー読本》というガイド本に大変お世話になった。
当時、月刊オーパスという本の雑誌があり、(たぶん)ほとんど売れていなかったと思うがなかなか面白かった。そのオーパス編集部による、キング以降のモダンホラー小説オールガイド。
小説紹介以外にも、早川書房・東京創元社のホラー担当者の対談から、菊地秀行氏・竹河聖氏によるエッセイ、代表的なモダンホラー映画監督の紹介ページなど盛り沢山のとても贅沢な本!
レリジョン/モンスター/サイコホラーなど独自にジャンル分けし、簡単にストーリーが載っている。そこから、興味を持った本を片っ端から買い、読み漁った。
その中に、この本があった。
異様な雰囲気の漂うタイトルに、正直「だから何なんだ…」と言いたくなるようなストーリー紹介。でも、何かが引っ掛かった。
神保町の某書店で調べてもらうと、「廃版ですね」という答え。
どうしても読みたいというわけでもなかったが、《イアン・バンクス》《蜂工場》という言葉は常に頭の片隅にあって、古本屋に立ち寄った時などに、ふと思い出して棚を覗いてみたりしていた。だが一度も、熱心に探し回った事は無い。
そして時は流れ
ある日amazonで小説を購入しようと思った時、それはやってきた。
脳内に遠くから囁きが…
《蜂工場》
そういえば、インターネットが普及してから(!)探した事が無かった。
一応打ち込んで見てみると なんと、お手頃価格の中古本が一冊出品されているではないか。…一冊!
光の速さで購入し、数日後、遂に私は十数年越しで対面することになった。
何かを長年思い続けた時…見たいなぁ、会いたいなぁ、体験したいなぁ、読みたいなぁ…などと願い続け、意識せずともその期待がどんどん膨れ上がってしまうというのはよくある事だ。で、実際にその時がやってきた時、その膨張しまくった期待を上回る事は…実はほとんど無かったりする。
《蜂工場》に至っては、なんと十数年かけて膨らませ続けてしまった。たった三文字のタイトル、120字あまりのストーリー紹介、2×3センチほどの表紙写真から。
ここはいったん落ち着くべき。
現物を手にしながら、「結末は誰にも話さないでください」という文字を冷静に見つめる(本当にタイトルの下にそう書いてある!)。
その休みの日、私は一気に読み終えた。
……それは、いつの間にか破裂しそうなほどに膨れ上がっていた期待を、はるかはるか上回る内容であった!!
この瞬間。この瞬間のために、このタイトルは君の頭の中でひっそりと生き続けていたのだよ。たとえほとんどの書店から姿を消そうが、この爆発の火種は、常に世界のどこかでじっと君を待っていたのだ。
主人公のフランク(16歳)は、スコットランドの小さな島で父親と暮らしている。
彼はなぜ学校に通っていないのか、父親は何をしているのかもよくわからない。フランクは日々、儀式の様に小動物を殺して遊んでいる。
“蜂工場”というのは、彼が作ったお告げ機械のようなもの。大きな時計の文字盤に細工を施し、中に蜂を閉じ込める。12の数字はそれぞれ回廊のような仕切りで分けられ、その先にはそれぞれ仕掛けがある。炎の湖、毒液、溺れ死に…それはお告げであり、どうやらフランクはそのお告げを人間にも実行している。
奇妙なフランクの生活は淡々と描かれ、その静けさがどんどん狂気じみてくる。
さらに、彼にはエリックという兄がいる。
医学生だったエリックは、“何か”が原因で精神病院に入っていたのだが、突如脱走。家へと帰って来る途中途中でフランクに電話をかけてくる。意味不明な会話、異常に兄を恐れるフランク…
そして物語半ばを過ぎた頃、遂に、“エリックが狂った原因”が明かされるのだが……
読み終わったあと、ネットでいくつかレビューを発見したが、ほぼ全員同じ感想を持っていた。そして私も。
“エリックが狂った原因”が怖すぎる。
恐怖小説、ホラー小説、サイコパスなミステリーまで、ある程度の耐性はついていると自負してきたつもりだが、これは想定外の衝撃だった。
どれくらい凄かったかと言うと、問題のページで「こ、これはもしや…」と思った瞬間、いったん本を閉じてしまった!!
深呼吸しなければ先が読めなかった。
はっきり言って、ラストのどんでん返しもさることながら(結末は誰にも話さないでください)、この小説最大のクライマックスはこの部分である。
同じ頃に発売された震撼のスプラッター小説・クライブ・バーカー《血の本》全6巻を、《蜂工場》はたった4ページほどで凌駕している。
アレだ。
『ほとんどの人にお勧め出来ないけど実は全人類に読んでもらいたい傑作』。
199ページ目にして認定。
よく小説などで“狂ってしまった人”が出てくるが、その経緯を読んで、「そんな理由で…イっちゃうの?」と思う事がたまに…いや、よくある。
その時代特有の重圧だとか、肝心要のキャラクター心理を理解していないとかかもしれないけど。
心理学者の河合隼雄先生曰く、「人間の精神とは、皆さんが思っているよりもずっとずっと脆いのです」 だそうだ。
今は少しわかるようになったが。
だがしかし。
エリックのことはわかるよ!
これは…狂うよ!!仕方ないよ!!!
オマケの様に書いておくが、ラストはちょっと感動的だ。ここは意見の分かれるところだと思うが、個人的に美しい終わり方だと思う。オチへ向かって怒涛の展開を見せるが、一貫して不気味な静けさを感じさせる文章力は、これがデビュー作とは思えぬ手腕だ。
その後一年に一度は読み返しているわけだが、二回目以降、あまりにあまりな物語なので私は頭の中で兄エリックを若かりし頃のジョナサン・リース=マイヤーズに演じてもらっている。
「悲惨な目に合う主人公は、見た目のよい俳優が演じないと観客が観ていられない」とド正論を吐いたのは、《レクイエム・フォー・ドリーム》を撮った時のダーレン・アロノフスキーだったか。
(エリックは主人公の兄だけど)。
作者のイアン・バンクスは他にも何冊か日本でも翻訳されているが、本国イギリスではずっと人気のある有名な作家だったらしい。だった、というのは2013年に亡くなってしまったからだ。合掌。
ところで、前述の河合先生の言葉には続きがある。
「人間の精神とは、皆さんが思っているよりもずっとずっと脆いのです。同時に、皆さんが思っているよりも、はるかに強いのです」
いつでもこの言葉を思い起こさせてくれる物語、それが《蜂工場》。
手に入れるのは難しいかもしれない。
でも、未読の方がいたら、なんとなく頭の片隅に入れておいてくれたら嬉しい。
《イアン・バンクス》《蜂工場》
今日もきっと、世界のどこかで静かな爆発が起きている。
=追記=
なんと、先月(2019年3月)にハードカバーとして復刊されていた事が判明。
しかも改訂・完全版。
名作を世に残そうとする偉大な仕事、Pヴァインさん素晴らしい。