かねて知を恐れたまえ

映画や本、ゲームについて。絵も描いています。

日本絵本界の最強アイドル「だるまちゃん」

だるまちゃんとかみなりちゃん (こどものとも絵本)

だるまちゃんとかみなりちゃん (こどものとも絵本)

次のテーマはだるまちゃんでいこう…と思っていた矢先、作者・かこさとし先生が亡くなられた。
今年一月にだるまちゃん新作三冊同時刊行。
御年92歳にして、まさしく生涯現役であった。最期まで書き続けてくれた事に言葉では表しきれぬ感謝の想いで溢れかえるのは、レイ・ブラッドベリが亡くなった時と同じだ。

かこ先生は自伝『未来のだるまちゃんへ』(文藝春秋/2014)の中で、いかにして子供たちに原発や戦争について伝えればよいのか、もちろんそれを絵本という形で描きたいという事を語ってらしたが、新作の三作においてだるまちゃんと友達になるキャラクターの原型は…
『だるまちゃんとかまどんちゃん』…東北地方の魔除け、火の守り神・カマド神
『だるまちゃんとキジムナちゃん』…沖縄の伝承に登場する精霊
『だるまちゃんとはやたちゃん』…福島では郷土玩具となっている実在の人物

あと余命がどのくらいあるのかはわからないし、果たして間に合うのかどうか
(未来のだるまちゃんへ/248ページ)

見事、成し遂げて旅立った。


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愛嬌あるだるまちゃんいろいろ/コジロー模写


今回は、第二作『だるまちゃんとかみなりちゃん』を取り上げたい。
というのもこの物語には、子供心を大いに刺激し今なお想像が尽きないとある場面が存在するのである。

さて、ご存知の方も多かろうが一応あらすじを書くと…
ある雨の日、だるまちゃんが外に出ると空から変なもの(のちに正体は浮き輪と判明する)が落っこちてきて木に引っかかり、ついで大きな雷鳴とともにかみなりの子どもが落ちてくる。二人はその変なものを取ろうといろいろ策を練るがどうにもならず落ち込んでいると、かみなりちゃんの父親・かみなりどんが雲に乗って登場。いとも簡単に浮き輪を取ってだるまちゃんも雲カー(ハンドルが付いている)に乗せてもらい、かみなりの国へと連れて行ってもらう。
見開き2ページに渡って描かれるかみなりまち!二点透視図法による迫力のエレクトロ・シティ!!
浮遊する雲カーやモノレールの行き交うメビウスもびっくりの完全な近未来都市である。
公園やプールで存分に遊んだあと、かみなりちゃんのうちへ行ってご馳走になるのだが、これがどう見ても大晩餐会、かみなりどん相当の資産家である。…が、問題はこの場面である!
ご馳走を食しながら皆で楽しげに観ているテレビ…そこに映っているのは、紛れもなく序盤で浮き輪を取ろうと頑張っている二人の姿ではないか。
……こ、これは…劇中劇?…入れ子構造?……いや、もしかしてここでもう一回ドーン!と雷が落ちて物語は最初に戻り………
などということはもちろん無く、だるまちゃんはお土産をもらって無事家へと帰ってゆく。雲カーでやって来た上空世界から雨傘一本を開いてダイヴするという神技で。

大人になってからの考察としては、超リッチなかみなりどんのことだから可愛い息子の身を案じ、GPS機能内蔵の小型追尾機かなんかが常にかみなりちゃんのそばを飛んで映像を送信しており、地上に落ちた事を知って助けに来たのではないか。その記録映像を再生して皆で笑っていたのである。

ラストでお土産のかみなりクッキーを開けてだるま一家の楽しそうな団欒が描かれているが、私が想像するに、このあとだるまちゃんはだるまどんにおねだりして、餅で角を作ってもらったに違いない(『だるまちゃんとてんぐちゃん』参照)。


私は子供の頃から、怖そうな顔をした丸みのあるキャラクターが好きだった。
神社仏閣にある狛犬や鬼瓦、アラレちゃんのニコチャン大王、ポケモンのゲンガーなどなど…。
この好みは、どう考えてもだるまちゃんから始まっていると思われる。


時に駄々っ子でやりたい放題、だから子供はみんなだるまちゃんが好き。
いたずらっ子で遊びまくる、いわば超リアルな子供、だから大人はだるまちゃんが好き。
そんな無敵のキャラクターを生み出した絵本作家であり、工学博士でもあったかこさとし先生。

大宇宙の塵となったかこ先生に……だるまちゃん、交信!!

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そして時が経ち…
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うわーーっ!だるまちゃん!!

「杉本一文『装』画集」がもたらした原体験の記憶と友情のお話。

友人と再会した。
小学校の同級生という私としては異例の長きに渡る友だが、連絡を取り合わぬまま十数年の月日が経った。
いわば、<金田一友達>だった。
あの、妖気と怪奇と猟奇混ざり合う横溝世界が大好きで、何時間でも話し合い時に真似事をして遊ぶ――小学生だった。
ふとした事がきっかけで再会を果たし、杯を交わしたあと、おもむろに「渡したいものがある」と言って友人は古ぼけた文庫本を差し出した。
悪魔が来りて笛を吹く』。
…友人が今や私など足元にも及ばぬ熱烈な金田一ファンとして活動している事は知っていたが、なぜ、今この本を…?と思いながら裏表紙を見ると、そこに。
杉本一文画伯のサインが。
私の名前入りで。
………!?!?!!!!
「お会いする機会があって、サインを頂く時に一緒に書いてもらった」

十数年の年月などあっという間だ。
一旦連絡が途切れてしまうとたまに思い出してもなかなかきっかけが掴めず、このままになってしまうのか…いつか連絡しないと…と気にかけながらも結局ズルズルと不通になる。

そんな、長年会っておらず、いつ再会するかもわからぬ者の為に、超大御所イラストレーターを前にしてサインをお願い出来るか?
しかも、それだけではなかった。
昨年出版された杉本画伯の画集まで出てきた。もちろんサイン入りで。…いかん、書いてるだけで涙が出そうだ。
いや、その晩帰宅して、一人『装』画集と文庫本を膝に置いてその表紙にそっと触れながら、何十年かぶりの「嬉し涙」を流した。
大人になって嬉しくて泣いた事などあっただろうか…しかも、人生最大級の大波(第一回ブログを軽く参照)をようやく乗り越えられそうだというこのタイミングで。

万感の思いを込めて、画集の頁をめくった。


子供の頃、毎日のように読む絵本や漫画、飽きる事なく見続ける絵がなかっただろうか。
細部まで吸い取るように眺め尽くし、中に入ってしまう様な体験はあの頃しか出来なかった。
私にとってそれは、母親の横溝正史コレクションの表紙絵と、父親所蔵のエッシャーの画集であった。
まだ幼すぎて文章は読めず(そもそもエッシャーは洋書だった)、ひたすら絵だけを眺めていた。
末っ子の私は六畳間に両親と川の字で寝ており、夜部屋の電気を消すと、就寝前の時間に両親はそれぞれのベッドサイドランプ(そんな洒落たものでもないしベッドでもない)を点けて本を読んでいた。
当時から寝つきの悪かった私は、しばらくして片方のランプが消え、やがてもう片方も消えて部屋が真っ暗になると、「ああ、寝なければ」というプレッシャーと同時にたった一人の時間が始まったという不思議な悦びも感じていた。暗闇の中での空想世界はとどまることを知らなかった。
日中布団を上げると母親のランプのすぐ横には、必ず黒い枠に囲まれた不穏な絵の文庫本が置かれていたのである。
その表紙こそ、杉本一文画伯の筆によるものであった。

杉本一文エッシャー
この二人こそ、幼い私の細胞の隅々にまで沁み込んだ原点なのである。

エッシャーの話はまた別の機会に譲るとして「杉本一文『装』画集」に話を戻そう。
現在、母親のコレクションは兄がそっくり所有しており、それこそ何十年と目にしていなかった。
が、次々と現れる絵に、静かなるマグマの如し湧き上がる昂奮とざわめき。
ああ、『犬神家の一族』の女性、あの歪んだ唇と異様な髪型(当時の私には充分恐ろしいヘアスタイルだった)にどれだけ見入っていただろう。『貸しボート13号』の暗い波と想像を膨らませるだけ膨らませてくれるタイトル、『八つ墓村』の婆さんの皺。
子供の目線は小さく、それゆえ信じられないほどの細部にまで入り込む。今では決して持てない目線が記憶として蘇る快感。
今こそ、あの頃の自分を褒めてあげたい。ただ無心に見入っていただけだけど、そのおかげでこんな甘美な追体験ができたのだ。
当時、1,2を争うほど“怖い”と思った『本陣殺人事件』、今見ると上の猫はとても可愛らしい。おそらくその下の鈴子ちゃんの迫力で絵全体から尋常ならざる狂気を感じたのだろう。まこと子供の感覚は芯を衝いている。
もうひとつ、『幽霊座』の座り込む黒子。これはもう震え上がった記憶がある。とにかく<嫌な>感じしかしない。しかし、なぜだか漠然としたポッカリ感があったので、一応兄にメールして確認してもらったところ、送られてきた画像はひょっとこ面バージョンの方であった。しかし、例の黒枠付きの装丁を見ていると「あ、うちにあったのは確かにこっちだ」とすんなり納得。この青ざめた鼻の低い女性、心かき乱すほど静かな背景の月。たぶん、母親の<未読の横溝探し>に何度も付き合っていたので、古本屋などで見かけ(てしまっ)たのかもしれない。

テレビで映画版など何本か観て、いよいよ読んでみようという気を起こし、タイトルは忘れたが母親に一冊借りた。どれだけ理解できたのかは定かではないが、なんとか読み終え母親に言った一言はなぜかよく覚えている。
我が横溝体験の最初の感想が…
「この人は、『それはさておき』という言葉が好きだね」
……………………

それはさておき、他にも、まさに擦り切れるほど読んだ楳図かずおの『恐怖』全三巻の表紙など、語り出したらきりがないほどの郷愁の詰まった一冊である。
ここから全てが始まったとも言えるほどの印象をすり込んだ杉本画伯の絵は、私に何を与えたのだろう。デイヴィッド・リンチが幼少時代、美しい庭の情景の中、その裏に広がる虫たちのおぞましい光景を目にした様に、幼い私に横溝本の表紙絵はこの世界の裏側を覗き込む事を教えてくれたように思う。見てはいけないもの、でも確かに存在するものがこの世には在る。破滅するかもしれぬほど恐ろしい禍々しいものと、澄みきった美しいものの共存する世界、それがこの世界の本質だよと。


そんな原点回帰をさせてくれた友人は、私の為にサイン本をもらってくれた理由を一言で答えた。
「だって最初の<金田一友達>だもの」。

埴谷雄高氏曰く、友人とは
「永遠に続く時間の中で、偶然同じ時代に生まれついてしまった哀しみ」。

深淵なる哀しみを共有出来る悦びを感じつつ、狂気の世界を生き抜いてゆきたい。


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悪魔の尿溜へゆくんだ!小栗虫太郎『人外魔境』を読む!

人外魔境 (河出文庫)

人外魔境 (河出文庫)

日本人たるもの誰しもが、若い頃一度は《日本三大奇書》を読破せねばと思うだろう(…あれ?思わない?)。
そんな私も、『ドグラマグラ』でめでたく夢野猟奇ワールドに開眼したのち、いよいよ二冊目に入った。
あれは猛暑、クーラーも無く、扇風機の生温い風にあたりながら読む創元推理文庫のぎゅっと詰まった小さな活字は、行を移ると視界の隅でモゾモゾと蠢き始め、まさに虫の如く汗ばんだ体を這いずり回る…
「ハテ…今、何を読んでいるんだろう?」と何度も躓くのは暑さのせいでボーッとしているからだと言い聞かせるも、気づけば主人公が今どこにいるのかもわからなくなっている(数年後、私はこの現象を勝手に《死靈現象》と名付けた。埴谷雄高さん、ありがとう)。
中井英夫の『虚無への供物』合わせ、三大奇書の中ではぶっちぎりの悪文だ。
悪文…難解さについていけない事を作者の文章力のせいにしているだけという場合も少なからずあるが、まあとにかく『黒死館殺人事件』の冒頭数行を読んでみるだけでよい。
小栗を読むことは“苦行”なのである。
夢野久作ドグラマグラ』角川文庫版だと32ページ続く《キチガイ地獄外道祭文》通称チャカポコも、挫折者多しの関門と有名だが、あの苦しい詩の繰り返しもおそらく読者を堂々巡りの地獄旅へと誘う仕掛けのひとつとなっているのだろう。
で、小栗虫太郎
なにゆえあそこまで読み辛い文章を書き、蘊蓄に力を籠め(過ぎ)、物語の進行上重要そうな説明をほんの一行で済まし、そして何より「いかに改行しないかがポイントだよ!」とでも言うようなみっちり感を押し出すのか。
初めて触れた時は「当時の読者はこういう文章も楽に読める人達だったんだ」と勝手に思い込んでいたものだが、「いや、これはリアルタイム読者だって苦戦したに違いない!」と、ある程度読書量の増えた今では思う。
…でもね。
そう。酔うんだよ。
酔ってくるんだ、小栗の文章は。
あるラインを超えると気持ちよくなってくる(ような気がする)タイプ。体内に毒の様に回り始めたら…ほら、活字中毒の虫が蠢きだすよ…

さて。
長年なぜか未読のままだった『人外魔境』である。
いやどう考えてもほぼ直球で私好みの臭いがプンプンなわけだが、なぜか読む機会が無く…この度、河出文庫ノスタルジックシリーズにて刊行されたのをようやく手にした次第。
さあ、毒を注入する準備は出来たか?
いざ、頁をめくらん。

………大魔境《悪魔の尿溜》!アトランチスの有翼人!大迷路の水棲人!白痴女を連れてチベットユートピアへ!!

猛毒である。
もう死を覚悟したくなるほど魅惑的な小栗ワードの連打である。
そして、一連の探偵小説に比べて読みやすいではないか(あくまで当社比)。
このシリーズ、第三話目から秘境探検家かつ国際スパイ(!)の折竹孫七が主人公として登場するのだが、どうも雑誌『新青年』で連載化されたのがここからのようだ。
主人公の異なる第一話・第二話はページ数も多く、個人的には全話このボリュームが欲しかったところ。
折竹というキャラクターは魅力的なので(なにせ国際スパイ!だし)一話読み切りとはいえ残念だ。
しかし、たかだか30~40ページでこのスケールの大きさ、そこに国際情勢からロマンまで詰め込む手腕はさすが。
だが相変わらず大事そうな展開部分を一行で済ますという技が大量投下されているので、丁寧に読んだほうがいいと思う。
いや、自分の場合、先を読みたくて下手な速読を発動してしまう時が度々あるので…

ニューヨークのサーカス小屋で重量上げの芸をする日本人女性おのぶサン、陽気で図々しくて憎めないロマンチストのカムポス…愛すべきキャラクターも多々登場し、あっという間に読み終える。
読み終えてしまった…

このシリーズ執筆時、小栗は海外渡航経験が一度も無かったとのこと。凄まじい知識量である。
夢野もほとんど百科事典だけをもとに執筆していた事を思うと、現代、欠けてしまった何かを感じざるを得ない…
彼らが夥しい書物に囲まれ思索に耽り、力の限り創造してゆく姿を想像していると、情熱の在り方を考えてしまう。

ところで、表紙の話をしたい。
ラインナップを見ただけでときめく良質なシリーズを刊行してくださり、河出書房新社さん誠に良い仕事をしていると思うが、この表紙はどうだろう…
亜熱帯だけどさ。秘境感あるといえばあるんだけど。
ちょっとその…さわやか過ぎないか?
小説の表紙って難しい。それはわかる。
「お?」と目を引かせつつ、作品世界の雰囲気をうまいこと伝えつつ、かといってネタバレは出来ないし…
大変な仕事だよね…

というわけで、ネタバレ全開で勝手に表紙を描いてみた!

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…ハア、ゼェ。ちょっと盛り過ぎたか?
いや、まだまだこんなものではないのだ。
めくるめく未踏地帯(テラ・インコグニタ)をゆく旅行隊(キャラヴァン)に、最終地点(ファイナル・ポイント)はないのだ!


《今日のBloodborne》

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…服、着ろよ。

夜が明けた!まずはBloodborneについて。

Chapter 1

いろいろな意味でブログを始めるきっかけとなったゲーム、Bloodborneから話を始めようと思う。前置きがあるので、早くBBの話を…と思う方はチャプター2,3まで読み飛ばしても構わない。

 

さてここ数年間、我が人生最大最悪の局面に翻弄されていた私は、結果、空っぽになってしまった(あまりヘヴィな話題は避けたいのでこの辺りはサラッと…要は病気だ)。

もともと漫画の修行をしていてそれを生業にできれば…という思いがあったので、まさに四六時中ペンを持ってない時でも、歩いていてもストーリを考える、アイデアをこね回すという日々。

それが。

気づけば空っぽになってしまった。

何も、何も出てこない。それどころではなくある日突然、遠近法というものがわからなくなった。つけペンで線が引けなくなった。習得した技術が次々と消えていった。

怖かった。自分の身に何が起きたのかわからなかったが、とにかくそれが一番怖かった。恐ろしさのあまり、私は絵を描かなくなった。というより、描けなくなったのだが。

これまでにも、絵を描くことをやめたら自分はどうなるだろうなぁ…と軽く想像してみることはあった。きっと、なんにもなくなってしまうだろうなぁ、と。

なんにもなくなるんだよ、コジローさん!その時が来てしまったのだよ!!

自分の価値観が喪失。これは、恐怖以外の何物でもなかった。

もう一度サラッといっておくが、これはスランプとかそんな類の状態ではない、病気だったのだ。

治るのか?いつまで続く?しばらく休めば大丈夫だって?その”しばらく”が3年ほど続いてるんだが。

『このまま』…………(恐怖度、一気にカンスト)。

 

そんなこんなで2017年3月。

文字通り生ける屍と化していた私は、10年ぶりにTVゲーム機を購入する。

そう、ゼルダの伝説が出たから。時のオカリナは永久に私のナンバー1。

最後に買ったゲーム機といえばWiiPS2。Switchを手にしてコントローラーのキーの多さに指がついていけず、「ゲーマーとしても復帰出来ないのでは…」などと思いつつ3週間ほどでなんとか盾パリィもできるくらいに(20回に1回くらい)。

仕事帰りのバスの中で「今日はクジラの化石を探しに行こう…」と思った瞬間、数年ぶりに幸せな気持ちを感じた。

新作ゼルダはとても面白くて、ストーリーやゼルダ姫のキャラクター(これは完全に好みの問題)など惜しい点があるものの、数か月間、全プライベートを捧げてプレイ。

故岩田社長が亡くなった時は自分自身がひどい状態だったのでどんな感情を持ったかもうろ覚えだが、今回プレイしながらウルッとする。

凄いな、頑張ったんだな、任天堂…。

 

少しだけ、心が動く。

 

ゲームをもっとやりたいなと思っていろいろと見ているうちに、Bloodborneという存在を知る。なにせ10年ほどゲームから離れていたのでソウルシリーズすら名前を聞いたことがある程度。しかしトレイラーを見る限り、なんだか自分好みの世界観である。大好きなアクションRPGだし(完全に下手の横好き)。

がしかし…《世界最高難易度》。

どうする、自分。

 

2週間後、我が家にPS4とBloodborneが届いた。

 

Chapter 2

私はあらゆるジャンルの創作物において、制作者の勇気を感じるものに特に感銘を受ける。

《世に出す勇気》だ。

1969年に『TOMMY』を出した時のピート・タウンゼントが美しく見えるのは、彼の勇気を感じるからだ。

革新的なものを創るのには、勇気と情熱が絶対的に必要である。ここで誤解なきよう説明しておくと、私は〈革新的なもの〉に魅かれるのではない。「革新的である」とか「世界を変えた」とかは世に出したあとの反応であって、クリエイターとして魅かれるのは圧倒的にその前の時間だ。

おそらくこのゲーム一本の制作には大変なお金が動いているだろうし、商業的な部分を無視しては進められない。それらをクリアしながら妥協せずに創りたいものを創り上げること。それが最高の《プロの仕事》。

多くのプレイヤーが駆け抜けていくであろう背景のオブジェクトに拘ること…漫画でいえば、読者は0コンマ何秒しか見ないであろう背景の細部に気を配ること。

 

いつまで続くのか、いつか終わるのかどうかもわからない不毛な日々に光を射したのは一本のゲームだった。

全く予想だにしなかった。

今までの人生で何度も何度も、映画や書物や音楽に助けられてきた。

だが、最大の救済は今回のゲームだった。

 抜きん出た芸術性に、崇高な物語に、貫かれた美学に、多幸感をもたらすゲーム性に、そして制作者たちの熱意と労力と勇気に、最大限の敬意を表す。

 

長い長い夜が明けた。

 

Chapter 3

 

記念すべき第一回ブログの最終章は楽しくいこう!

というわけで我が主人公を紹介させていただく。

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キアヌきた!自分的にはスキャナーダークリーの頃のもっさりイメージで作ったつもりが、けっこうシャープになってしまった。元来鎧とか剣とかにさほど興味がないので、Bloodborneのお洒落重視防具(というわけではない)と奇抜な変型武器は非常に楽しい。

そしてめでたくクリア、二周目に入る。

一周目でレベルを上げまくったので、二周目は上裸で!!

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お洒落どこいった…いや、かっこいい、かっこいいだろ、これ!?

このゲーム、ヴィクトリア朝イギリスが舞台で、まぁいろいろあって呪われた町ヤーナムにやってきた主人公が、狩人となって獣化した方々を狩ってゆくという話なのだが…この格好、もう主人公がケモノ。ちなみに肩に担いだイカした武器は獣肉断ちという。

アクションホラーとのことで、ホラー感が満載。というかかなり怖い。新しいエリアで目前に広がる風景を見るたび、行きたくなくてドキドキする。

クトゥルフ神話がベースだが、後半になるにつれ盛り上がるSF感がたまらない。多くのSF小説や映画へのオマージュが見受けられ心躍る。

ミコラーシュというボス戦で追いかけっこ演出になるのだが、おしゃべりなボスが逃げながら狼の遠吠えを上げた時などもう、硬派なこのゲームに可愛さすら感じ、思わず私も喜びの遠吠えを上げた。

ところで一周目、私は銃パリィのタイミングがさっぱり掴めず早々と諦め、ほぼ銃の存在すら忘れ、ナチュラル銃パリィ縛りプレイをしていた。そのせいでただでさえも高いゲームの難易度がはね上がり、汗ふきタオルも何度洗ったことか。

突然だがコジロー的ゲームプレイ時における必需品

   ●ハンドタオル…手汗拭き用・ついでにコントローラーも拭いて

   ●箸…お菓子用

   ●チューハイ…ボス撃破時祝杯用

 

Bloodborneのボスは皆哀しい。哀しくてグロテスク、その中に知的さも感じる美しい上位者たちのデザイン。(※上位者…神のような存在。上位者たちに近づこうとして人間たちがあれやこれやする)

DIEしてもDIEしても楽しくて、ちょっと余裕も出てきた二周目では素晴らしいステージを隅から隅まで歩き回って風景や小物を眺め…

絵を描きたいな、と思った。

 

道具も無かった。ペイントソフトの使い方も忘れた。

それでも、まずは鉛筆を削ってみた。私は愛用するステッドラーのBをカッターで削る。絵を描く時、最初にする作業だ。木の匂いがした。懐かしい匂い。

描いていくうちに思い出してきた。次々に。まさに覚束ない手つきでペンを動かした。まだいろいろ忘れている。培った技術がうすぼんやりとしたモヤに包まれて自分の周りを漂っていて、ひとつずつ開いている感じだ。

それでもなんとなく、思うのだ。

もう、絵を描くことはやめないだろうと。

 

では最後に、3年ぶりに描いた絵を。

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ありがとう、FROMSOFTWARE、JAPANStudio。